シュレーディンガーの猫

この猫は、量子力学を理解する上で必ず例として用いられるもので、『重ね合わせの原理』を理解するものである。


光は、波であり粒子である性質をもっているが、具体的には非常にイメージしずらいとかと思うので、入門書などではシュレーディンガーの猫の例があるという意味である。


シュレーディンガーの猫とは、聞いたことがある人は結構いるかと思います。


箱の中に猫と放射性物質が入った装置とその装置に取り付けられた測定器、青酸ガス入りのビンがあるとします。


測定器が放射性物質を感知すると青酸ガスの入ったビンを割り、残念ならが箱の中の猫が死ぬことになります。


ここで、放射性物質とは特別な原子であり、量子論に従って放射能を出しているので重ねあわせが成立していることになります。


すると、猫は『箱を開けてみるまえは死んでいるか生きているか』わからないことになりますね。


つまり、観測前は猫は『死んでいると同時に生きていること』になります。


これがマクロ的な視野です。

一方、ミクロ的な視野に立てば、猫はミクロ物体ではない為、重ね合わせは成り立たないことになります。つまり、例えるなら量子を波でみるのではなく粒子としてみるため、分割ができない(=1つしかない)ということです。(=死んでいると同時に生きているなんてありえない。
(このように重ねあわせが崩れることを『デコヒーレンス』という)


要するに、シュレーディンガーの猫の観測装置からわかるのは、『現実の猫を、生きていると思うか、死んでいると思うか』ということだけです。『どう思うか』が決まるだけであり、『観測が現実の猫を左右する』ということはないのです。


結局は、量子でいうなら『粒子』に重ねあわせを求めているのであり(=これは実際には不可)、ミクロサイズでは重ねあわせが求められると『波』へと状態を変えるが、猫サイズなら『粒子』のままになり、やはり重ね合わせは成立しないことになるのです。

(猫やら量子やら混ぜてしまってややこしくしてすみませんm(_ _)m


簡単にいえば、『猫が死んでいてかつ生きていること』が意味するのは『粒子が重ね合わせが成り立って干渉する』ということです。こんなことは実験によってありえないことが確かめられており、粒子は波のように干渉することはありませんので、『猫も重ね合わせ』は成り立ちません。